Ryoji Kaneko MY CAR HISTORY
趣味車 篇



HONDA Z GS

■1971年式
■形式:N360
■1981/05/〜 1988/02/
CM

SB1シビックでホンダの洗礼を受け、昭和55年に出た 「スクランブル・カー・マガジン」 (現カーマガジン)の創刊第一号
【HONDAの本】
は、その影響をより強いものにしたと言える。
同じ出版元の「企画室NEKO」から出ていた 「白い小さな本 ホンダZ」 もZの面白さを伝えていて興味関心を更に高めさせた。
昭和56年、シビックで撮影に出掛けた途中で1台のZを発見、決定的な出会いとなった。
いきなり程度良好のGSに出会ってしまったというのも運命的だったが、最初はあまりエンジンの調子が良くなく、当時まだ
あったホンダSF城北工場に持ち込み、キャブやタペットの調整などを 経て本来の調子を取り戻した。ここの工場長さんは
とても優しくて丁寧に対応してくれた事を記憶している。
5速ミッションは絶妙で、最初はどこにシフトしているのか全く分からないシロモノ、360cc36馬力とは言え非力さは否めず、
狭いパワーバンドを目指して頻繁なシフトチェンジを必要とした。慣れてしまえばこれも面白さのひとつと言える。
フロントディスクブレーキ(サーボ付)は全くのオーバースペックだが効きは抜群、スタビ付サブフレームが寄与し高速走行も
不安なく、若気の至りで夜な夜な首都高速のドライブを楽しんだ。
その後、『N』に目覚めるまでのホンダの面白さを体現させてくれた貴重な1台だった。
愛知のZフリークに譲り、10数年後のお台場JCCA NEW YEAR MEETINGで千葉の方の元に移った形で感動の再会を果たした。



HONDA N360 S(N-II)

■1969年式
■形式:N360
■1984/05/〜 1990/04/
CM

Z-GSに乗り始めて後、愛知で開催された「0,36 ALL HONDA MEETING」に単独参加。
参加車はSTEP VANとN360が殆どで、その数に圧倒され、特にN360の存在感が強烈に心に焼きつくことになる。
そしてその後、ほどなくして1台のNに巡り会う。それがこのN-IIS。
ボディカラーの正式名称は「スプリングイエロー」 実車はクリーム色の印象だったが、後に新車時のカラーはもう少し黄色味
が強い色と判明。
本来のグレードはシングルキャブのSタイプだが、エンジンがN-III用のツインキャブ版に換装されていた。
ナルディのウッドステアリング、シフトノブを装着、ドア内張上部の樹脂製黒色のドアサイドガーニッシュに木目シートを貼り
オリジナル感を演出、「ツーリングKS(KANEKO SPECIAL)」と称して悦に入っていた。
クリーンなボディデザインと広い室内はZとはまた違った魅力で、以後Nへののめり込みを増して行く事になる。
スクランブルカーマガジン(現カーマガジン)の会員募集記事を見て「HONDA N360 ENJOY CLUB」に入会する。
その後、Nの泥沼にハマり込む内に初期型たるN-Iにこだわりを持つ様になり、自身のNコレクションはN-Iで揃える、
というポリシーを打ち立てて、このN-IISはクラブメンバーに譲る 形で手放す事に。



HONDA N360 TS (N-I)

■1968年式
■形式:N360
■1988/04/ 〜 2004/11/
インプレッション

ホンダN360エンジョイクラブに入会後、初代会長Y氏がカナダに移住する事となり、引き継ぐ形で譲り受けたのがこのN。
かつてSF押上工場でレストアを受けており、状態は良好。
結果、多くの所有Nの中で最も長く付き合う事となる。
鈴鹿サーキットでの「ALL JAPAN HONDA SPORTSMEETING」には4回このNで参加、サーキット走行の醍醐味を満喫したが、
CRキャブに換装して参加した回ではオーバーレブ(異常燃焼?)でピストンの頭を吹き飛ばしてしまうというアクシデント
も経験した。
自動車雑誌の取材でNのエクステリアデザイナー宮智英之助氏に初めてお目に掛かったのもこのN。
自身のN歴の中で一番長く深く愛した忘れがたい1台。
栃木の元クラブメンバー(元ホンダマン)に譲渡。
ノスタルジック・ヒーロー2001年12月号



HONDA N360Sタイプ他、部品取りN、20数台

■1968年式〜
■形式:N360
■1987/10/ 〜 2001/08/

N-IISにてクラブに入会後、猛烈にNにのめり込んだ結果、置き場所があるのをいいことに次々とスクラップ状態のNを
見つけては運びバラす行動を取る事になる。
見つけて持ち込む当初はレストアしてNとして復活させてつもりだったのだが、どれもこれも皆ボディの程度が悪く、結局、
部品取りにせざるを得ない羽目になり、さながらNの墓場状態となる。
1968年式N360Sタイプはレストアを期して3台も持ち込んだがどれも使い物にならず、残念ながら潰さざるを得なかった。
今やエンブレムやコンビネーションメーターのみが手元に残る。 始めのうちはNに敬意を払ってフレームナンバーを切り
取ってから鉄くずとして処分していたが、台数をこなす内にそれも面倒になり、そのまま処分に出す様になる。
写真さえまともに撮らずに処理したので、最早一体何台ばらしたのやら正確な数も不明。



HONDA N360 M (N-I)

■1968年式
■形式:N360
■1987/04/ 〜 2004/11/

自分のNのコレクションラインナップはN-I(1968年式まで)のみと心を定めて、着々と計画を進める中で、
どうしても外せないのが「オーロラグリーン」のN。TSは既にあるので「Mタイプ」で理想のNを実現しようと考えた。
元ネタのボディーは殆ど腐りの無い程度極上のN-I。
正確な色見本を入手し美しく全塗装完了。
N600のエンジンを乗せて最強の街乗りNに仕上げようと、コツコツと細かなパーツをレストアしていたが、結局、
組み上げられずに手放す事に。
今はクラブメンバーの元で組み上げ作業進行中。



HONDA NIII360 TOWN

■1970年式
■形式:N360
■1988/06/ 〜 1988/09/

N-ISタイプを売りたい人がいる、というので出向いてみると、実は諸々5台あるのでまとめて買って欲しい、
という事で結局、N-ISタイプだけでは駄目、となり5台買う羽目に。
で、その内の1台がこのNIIIタウン。
そこそこ程度が良く、Nのコレクションの1台として持っていても良いかな、とも考えたが、インパネの感じや
顔つきがどうしても私自身のNに対する美学と相容れず、3ヶ月程度で売却する事に。




HONDA N360 AT SUNROOF(N-II)

■1969年式
■形式:N360
■1988/06/〜2004/12

5台まとめて買った内の1台。
純正サンルーフでホンダマチック車は希少だったが、当時、犬小屋にされていた為に犬の毛と匂いが凄かった。
結局は部品取りにするしかなく、純正サンルーフはボディーに補強入っている事を発見、貴重な資料になる。
ルーフ部だけ切り取り、いずれルーフの状態の良くないNに 移植しようなどと考えて保管していたが、
それも叶わず最終的には鉄くずで廃棄。ATエンジンはAT車オーナーのクラブメンバーの元へ。




HONDA Life GFL

■1973年式
■形式:SA
■1988/06/ 〜 1988/09/
CM
インプレッション

これも5台まとめて購入した内の1台。
後期型のLife4ドアGFLで中々良く出来た車ではあるが、如何せん骨太のNの造りとは違い、華奢な所が妙に安っぽさを感じさせた。 インパネの感じなどはSB1シビックを彷彿とされるデザインで好感を持ったが、水冷エンジンのモワモワ?した感じや節度
感の無いグニャグニャなシフトがどうにも好きになれなかった。
元より長く所有する気も無く、これも短期間で売却。




HONDA Life STEP-VAN STD

■1972年式
■形式:VA
■1988/06/ 〜 1988/09/
CM

これも5台まとめて買った内の1台。
ステップバンは一度乗ってみたい車だったが、いざ手に入れてみるとそれほど魅力的でも無くすぐ飽きた。
造りの安っぽさは仕方がないとして、やはりエンジンが如何にも非力。ライフ系の水冷エンジンやシフト感も好みに合わず。
ボディーカラーもオリジナルではない、ペパーミントグリーンの様な色で自分の趣味ではなく×。
これも短期間の内に売却。



HONDA N600 LHD 北米輸出車

■1970年式
■形式:AN600
■1991/05/02 〜

解体屋にNが出ているというので確認しに行くと、なんと北米輸出仕様の左ハンドルN600だった。
3年ほど前まで米軍基地に勤める外国人が乗っていたそう。
本国から持ち込んだ様で日本国内での登録が無いので復活は無理、という事で部品取りで入手。
ボディーの腐りはかなり酷かったが、エンジンはまだ始動出来る状態だった。
日本国内仕様には無い、ホーンリテーナーバーが無いステアリングや、ボンネットオープナーがフロントグリル内にあるなど、
色々な新発見があった貴重な一台。
例によってエンジン他、必要なパーツを外してドンガラは鉄くずに。合掌。



HONDA LN360

■1968年式
■形式:LN360
■1993/04/01 〜 2004/12/01

クラブメンバーが1987年頃に入手し乗っていたが、元々かなり程度の良かったものを、その後の保管状態が悪かった為にウェザ
ーストリップから雨漏りし床を腐らせてしまった。
レストアをするという事でエンジンを降ろした状態で放置されていたのを私が引き取ったもの。
自身のNコレクションの中にやはりどうしてもLNを入れたかったのと、元々の「メイブルー」の状態の良かった頃の面影が目に
焼きついていたので、何とかして復活させたいと思っていたが、結局完成させられず仕舞いで手放す事に。
現在は愛知のメンバーの手で美しく復活、大切にされている。
目出度し、めでたし。



HONDA N360 S(N-II) レーシング用ボディ

■1969年式
■形式:N360
■1993/04/ 〜 2004/12/10

N360 ENJOY CLUBの有志で1986年から1台のレースマシンをコツコツと制作、JCCA筑波や富士の走行会にて交代でドライブ
していたが、1993年の「ALL JAPAN HONDA SPORT MEETING」でメンバーの一人がコーナーでクラッシュさせてしまい、
敢え無く全損となってしまった。(ドライバーは幸いにも軽傷だった)
これを受けて今後は各個人でそれぞれのマシンを制作しよう、という事となり、自身用のレースマシンを制作するにあたり用意
した個体。マツダのディーラー整備の人が個人的に所有していたNを売りたいというので引き取ったもので、腐りも無く程度が
良くレーシングベースには打って付けだった。持ち込んだ当初はシングルキャブのエンジンは実動だった。
で、結局は手を付けられないまま、愛知のメンバーの元へ譲渡。元々書類の有った個体なので本来の街乗りNとして復活。



HONDA N500 RACING(N-III360改)

■1970年式
■形式:N360
■1996/02/ 〜 2004/12/15

自らのレースマシン制作の為、事前に用意していたN-IIのボディーにパーツ類をそっくり移植すべく、N・Z RacingSportsClub
メンバーが所有していたものを譲り受けた。
手元に来た時は筑波でブローさせてしまったという事でエンジンは不動だった。が、かなり高価なパーツを組み込んで造り込ん
であるマシンだったので、新しいボディーに移植すればいいマシンになる筈だった。
ゼッケンも「38」を引き継ぐ予定で根回ししてあったのだが。
殆ど手を付けられずに再び、N・Z RSCの元へ帰って行った。



HONDA N360 D

■1967年式
■形式:N360
■1998/07/30 〜 2004/10/28

カーマガジンに勤務していたクラブメンバーから譲り受けたこのN-Iは、それ以前にもNYMやカーマガジン誌上で紹介されて
おり存在を良く知っていた個体。が、多くのオーナーの元を転々としていたちょっとイワクツキのNでもあった。
私の所に来た時はエンジンが450ccに改造されていたが既にブロー寸前の状態。オイル漏れも酷かった。
結局、クラブオリジナルの400ccピストンキットを組み込み、それ以降は特に問題もなく私のコレクションの1台として楽し
ませてもらった。ただ、初期型の左プーリー車だったのでダイナモトラブルの際は少々手こずった。
ノスタルジック・ヒーロー誌の特集記事と表紙を飾る機会にも恵まれた。
NHKのテレビドラマにも出演、助手席から降りる女性は女優の風吹ジュンさん。映画「パッチギ」では後席に沢尻エリカが
乗って撮影された。
Nのエクステリアデザイナー宮智英之助氏にお目に掛かった際にこのボディカラーの「アドリアブルー」について聞いた所、
開発当時、彼がフランス車に凝っていたせいでいわゆるフレンチブルーの様なカラーを目指してみた、との事。
現在は愛知のクラブメンバーの元で大切にされている。
driver 2004年1/20号 別冊(PDFファイル 481KB)



HONDA N600 LHD(事故車)

■1970年式
■形式:AN600
■2000/09 〜 2000/11/

N600を買って欲しい、という連絡があり、勇んで見に行くと何と北米輸出版の左ハンドルの事故車だった。
後部が追突された様でバンパーは大きく変形、ボディーも後部下が変形、テールゲートは樹脂製の為割れてしまっていた。
ただエンジンは実動で問題なく始動出来た。
後部の板金に少々費用が掛かるのと、リヤバンパーは以前に潰したN600のものを再メッキすれば何とかなるか、テール
ゲートはいくらでもあるので問題なし、と考えて、8万円位なら引き取りますよ、と答えた。
すると15万で買ってくれ、という。それ以上はまけられないと。売主は車屋でこちらがN好きのマニアと分かっていて足元
を見てくる。断ろうかとも思ったが、エンジョイクラブ以外ではこの車をちゃんと直せ無いだろうし、このまま潰されて
しまうのは忍びない(散々Nを潰してきたからなおさら)ので言い値の15万で引き取った。
しかし私自身はもうNを持ち過ぎているので、クラブメンバーに声を掛けると、古参のM氏が買ってもいいと言ってくれた。
勿論、掛け値無しの15万で引き取って頂いた。
そしてこのN600は見事に修復され、全塗装で美しいアドリアブルーになり復活を果たした。
Nを1台甦らせるお手伝いが出来て嬉しい限り。
このNが私の名義で登録した最後のNになった。
2004年、一身上の都合でクラブを辞すに当たり、N-ITS、N-I D、N-I M(レストア中)、LN-1、N-III Racing、
N-II Racingベースの6台を手放し、私のN歴は終わりを告げた。



ROVER MINI COOPER 1,3i

■1998年式
■形式:E-XN12
■2011/09 〜 2013/01/

息子が18になり免許を取り、MINIに乗りたいという。本当はNに乗りたかったと嫌味を言われたが残念ながらもう1台も無い。
なるべく安く程度の良い車をと探すが近場では中々見つからず。ネットで探す内、奈良の専門ショップにオリジナルで良さそう
な車を見つけた。早速、新幹線に飛び乗って奈良へ。小さな店ながら品揃えは多く、店主も親切、お目当ての車は神戸の女性が
車庫保管で乗っていたとの事で腐りもなく良好、走行距離も5万キロ程度でエンジンも問題なさそうなので手付を打って決めた。
後日、トラックで引き取り、車検も取得して川口のガレージに収まった。
MINIはN以前に憧れていた車であり、感慨深い。が、当時のMark-IやMark-IIが200〜300万円で到底手が出なかった事を思う
と、100万以下で程度良好のMINIに乗れるとは隔世の感がある。
しかし進化したMINIは今やインジェクションでエアコン付き、快適でメンテナンスも楽。
息子にとっては初めての車がMINIという事で、取り回しの良さが運転の練習には丁度良かった様だが、大学の自動車部に入り、
そこで感化されて走り屋の先輩から格安で所有車を譲ってもらう事になり、MINIはお払い箱となってしまった。
幸い私の大学時代からの友人が引き取ってくれる事になり、1年半程でMINIは川口を去って行った。



HONDA S2000

■1999年式
■形式:GH-AP1
■2013/01/04 〜
CM
新車情報
S2000サイト

Nを降りて8年、未練は驚くほど無かった。
が、ホンダファンである事には変わりなく、日常車のインスパイアは快適にかつ走りの喜びも感じさせてくれていた。
しかし、ふと1台の車が脳裏をかすめる。
1998年、ホンダ創立50周年記念で招かれたツインリンクもてぎのパドックで見た試作車のS2000。
翌1999年には生産を開始、ホンダにとってS800以来29年ぶりとなるFRリアルスポーツはNに乗る頃から羨望の的だった。
海外のホンダクラブメンバーをもてなす為に高根沢工場での生産現場を見る機会も得ていた。
それは従来の生産工場とは全く異なるハンドメイドと呼べるもの、すべての生産車に厳密な完成検査を行い、日産30数台
という、大メーカーの生産体制とはほど遠い代物。
ホンダが採算を度返しし、これほどまでにこだわった車作りはNSXとS2000以外に無い。
そんな遥かに遠い憧れの存在だったS2000は約11万台が世に出て後、2009年、生産販売を終了、もはや新車は存在しない。

スタジオ業務の傍ら、見るとは無しにネット検索していると千葉県松戸の小さなS2000専門ショップを見つけてしまう。
そして1台の赤の純正ハードトップ付きの個体、しかも想像を遥かに下回る価格が目に留まる。
ほんの冷やかしのつもりで小一時間インスパイアを飛ばして松戸へ。
目当ての個体は店頭にあり、店主から丁寧に細部まで事故歴の無い車である事に始まり、S2000に関するウンチクを約2時間
聞く事になる。曰く、自身もS2000オーナーである事、無茶な若者が乗って毎週1台のペースで潰されている、等々。
初めの内は感心して聞いていたが、後半は上の空で当の車の観察に専念、そして車体ナンバーの表示板に1000200の数字を見つ
ける。初号機から丁度200台目、という事は一日30数台生産として高根沢工場量産開始後1週間以内の超初期型。
この時点で私のハートは射貫かれてしまった。それからは家内にどう説明するかで頭が一杯だった。
既に青森の学校の先生から引き合いがあり次の週末には見に来るとの事、時間的な余裕は無い。手付は置かずに改めて連絡する
と言い残して店を後にした。帰宅後、逸る気持ちを抑えて家内に事の次第を話すと意外にもすんなりと承知してくれた。
数日後、家内を伴って再び来店、契約、約1ヶ月後、車検納車整備等を経て晴れて川口のガレージに収まった。
期せずして希少な最初期型に巡り会い、純正ハードトップ付だった事もありほぼ衝動買いとなったが、間違いでは無かった。
乗り込む程にこの車のポテンシャルの高さと底力を実感、自身のホンダ車人生の中で最高のポジションにある存在と言える。
後日談だが、N360 ENJOY CLUBの現事務局長で36年来の友人であるK氏のNと登録ナンバーが偶然にも同番の 「89-97」
なったのは何とも不思議で運命的なものを感じた。



HONDA S600

■1965年式
■形式:AS285
■2015/09/16 〜
CM
インプレッション

2013年、S2000が私の所にやって来たこの年、HONDA TWINCUM CLUBを中心とした 「ホンダスポーツ誕生50周年記念」 のイベントが行われるのを知り、HNECのK氏と参加する事になる。勿論、ホンダスポーツは所有していないので見学での参加。
いずれNの誕生50周年を企画する事になる際は参考になるだろうし、何よりホンダスポーツが一堂に会する最後のチャンスかも しれないこの一大イベントは先ず外せないだろう、との読みは見事に的中し、忘れられない素晴らしいイベントだった。
200台超のSがツインリンクのコースを走る姿は圧巻だったし、何より驚いたのはホンダの手でレプリカされた S360 のお披露目だった。 本来は東京モーターショーで初披露の筈が、サプライズでこのイベントで参加者の前に現れたのだ。しかも柵の内側ではなく手で触れられるほどの 身近で。勿論、実際に触ることは出来ないが。
初日のパーティ前に披露されたS360は、翌日、今度はホンダコレクションホールのミニコースで走りの お披露目。
ドライバーは元社長の川本信彦氏。
川本氏は午後のトークショウにも参加、Sの開発時のお話などをご紹介された。
そしてもう一人のサプライズゲストは、生沢徹氏。
歳は重ねたとは言え、生沢節は健在、自身の若かりし頃のエピソードなどを披露し会場を沸かした。
このイベントに参加した事で眠っていたSに対する思いが呼び覚まされたのかもしれない。
S2000を手にした時点でも既に自分の中に何かが芽生えていたとも言える。

2014年、絶妙のタイミングで、元HNECメンバーがSを処分したい、との情報を得た。
早速コンタクトし、取り敢えず見に行くことに。
S600が2台、実動車と書類の無い部品取り車でまとめての売却希望との事。
その時点では会社の建て替えを控えていて1年半か2年後ならば考えてもいい、という様な返事をした。
実際、S2000の新たな保管場所でさえこれから手配しなくてはならない状況だった。
色々考えあぐねて、建て替え中の仮のガレージの手配などに約1年を要し、2015年9月、2台のS600は私の元にやってきた。
白Sは元より書類の無い部品取り車、そして赤Sは引き渡し前に車検を取ってもらい乗れる状態。
外観はきれいに仕上げられていたが、どうもエンジンや足回りはかなり怪しく、80km/h以上は危なっかしい感じ。
幌も縮んで閉まらずオープンのまま、これではやはり困ると旧知の友人で自身もS800を所有していて整備工場を営んでいる 静岡のS氏に頼むことに。ちょうど冬場になってしまい張り替えには良い季節ではなく、結局、半年以上の時間預けてようやく戻ってきた。
静岡はいかにも遠いので、近場でじっくり見てもらおうと、川越HOMで交流のあったさいたま市のメインストリート(現ガレージサイコー)さんに お預けし一通り見てもらった。結果、足回りはほぼすべてボールジョイントが駄目で交換、電気系統も無駄な配線を整理して引き直し、 不良のオルタネータは現代車のIC式の物に換装、バラついていた4連キャブの同調も取ってもらった。本来の調子を取り戻したS600は 見違える様に良く走るようになり、2017年には「Sで走ろう会」の北海道ツーリングに家内を伴って参加した。

Nの時代にSに乗りたいという気持ちは殆ど無かったが、Nに対する未練が全くと言っていいほど無くなった今、 Sはつくづく面白い車だ思う。決して速くはないし、50年超の車齢を考えると故障の危惧は常に付き纏うが、それを差し引いても乗るたびに喜びを感じられる。 ドライビングシートに深く収まって、小気味良く決まるシフトフィーリングと独特のエキゾーストノートに包まれるひと時は何にも代えがたい、言葉では上手く言い表せない魅力だ。
私の人生の最後の車達の、珠玉の一台。



HONDA S600

■1965年式
■形式:AS285
■2015/09/16 〜 2017/12/16


赤のS600と抱き合わせで購入した白のS600は登録の為の書類が無く初めから部品取りという事に決まっていた。
まだ旧工場解体前だったが、いずれ移動となることを見越して新たに借りたJR武蔵野線新三郷駅近くの倉庫に運び込んだ。
ボディそのものは大きな腐食もなく程度は比較的良かったが、そのまま起こせない以上、書付きフレームに組み直すとかの 荒業を使わなければ復活は難しい。4連キャブのみが無かったが、その他の欠品は無くやはり部品として赤Sに供出するのが順当だっ
た。赤のハードトップはガレージスズキ製と思われるが、後部の留め具が無い為にそのままでは使えず加工が必要。
ボチボチと部品を外していた所、新ガレージ完成前に茨城のK氏からレーシングボディとして使いたいとの希望があり、しかも
丸ごと引き取り、エンジンや足回りなどボディ以外の部品を外し後で返してくれるという有難い申し出に渡りに船と快諾した。
新ガレージ完成後、エンジンやリヤ足回り等は届けられて、無事に部品取り車としての使命を果たしてくれた。